母の話を少しずつ書いていきたいと思います。
母は私を産んだ3年後に乳癌が見つかり、9年の闘病の後に亡くなりました。

当時は父が掃除屋で働いていて、営業成績もよく裕福ではあったのですが、母をいつでも具合が悪くなったら病院へ送り届けられるようにタクシードライバーに転職し給料が半分以下になって家計が苦しかった事や父方の祖父母からの陰湿な虐め、また私たち姉妹に肉を食べさせる為に病院にも行かずに治療費を食費に回していたりして結果的にどんどん病気が悪化しました。

母は芯が強い人間で、全てにおいて完璧主義人間でした。頭も良く、学生時代にお嬢様学校へ通っていた時に先生に勧められて受けたIQテストでは140オーバーで大学進学し、教授になる事を勧められたくらいだったそうです。


話を戻します。
母は学生時代、中高一貫校のお嬢様学校へ通っていました。母の両親は仲が良くなく、離婚して父親はすぐに新しい女と所帯を持ち、母と祖母と母方の曾祖母(大婆)と暮らしていたそうです。

ですが、祖母…とても男運が悪く、変な男とばかりデキていわゆるヒモ男がよく家に勝手に転がり込んできたそうです。
母は父親が好きだったこともあり、家事育児もまともにしない祖母が嫌いでした。男に色目を使っていて色欲に溺れた祖母を毛嫌いしていたそうです。大婆に育てられた、と生前言っていたくらいです。

そしてお嬢様学校では片親というだけで物凄い虐めを受けたそうです。「貧乏人が通ってくるな。」と。

母はテストの時だけ保健室登校をして、それ以外は家に引き篭もっていたそうです。授業も受けてないのに成績は学年2位。
これも母が家で必死に勉強したのでしょう。
負けず嫌いの母は馬鹿にして虐めて来た同級生よりも常に上位でいたかったのかもしれません。

ですが、祖母や自分の周りの人間を恨み過ぎていた母は夜な夜な藁人形を大量に作り、閉じこもっていた押し入れの壁一面へ藁人形を打ち込んでいたそうです。
相当な恨みですね。話を聞いた時に私は笑いながら話す母の笑みにゾッとしたのを覚えてます。

やがて、無理やり押し入れから出されて引き籠り生活を終えたようでしたが、母は生前私によく言ってました。

「幾ら人を恨んでも、人の道を外すことはしちゃいけないよ。人を呪わば穴二つ。」と。

母はあの時の呪詛が、結果的に家の者に見つかってしまったことで呪い返しが来て、今こうして癌になってしまったんだ。
だから、どんなに憎いことがあってもお前は人を呪うことなんてするもんじゃない、と笑っていました。

母のような霊能力がある人間でも、呪い返しには勝てなかった。その代償として母は亡くなりました。

私はその言葉に従い、どんなに虐めをうけても恨んでも呪いはしませんでした。
人の道を外れたら、それはもう人間ではないよ、と言われたからです。

言霊、という言葉があります。
読んで字の如く、言葉には強い力があります。いわゆる霊力にもなりえるものです。

だから人間は知らず知らずのうちに言霊を使って人を貶めることもあり得るのです。
人を呪わば穴二つ。
言葉にするのは簡単だし、いわゆる呪うのも簡単にできます。ですが、その代償は自分自身を差し出して初めて成就するものです。

母は亡くなる前に成就しないように、みんなの前で「色んな恨みつらみがあったけれども、私はそれを全て許します。だから、どうかあなたたちももう恨まないで。」と私たち姉妹に言いました。

母から沢山祖父母の陰湿な虐めの内容なども聞いたり見ていました。姉妹共に恨んでましたが、本人が許すと言った以上私たちも許すことにしました。

この話を聞いた方々で現在何かしら抱えて恨んでいたとしても、どうか亡くなる前には全て許して呪いの満願成就することはお辞めになった方が賢明かと思われます。
その呪いの代償は自分だけでは足りずに、もしかしたら子孫まで続いてしまうほどのものかも知れませんよ。